2012年04月06日

ボランティア活動の記録

4月3日火曜日。
横浜は、『春の嵐』の影響で、ものすごい雨と風でした。

その影響で、電車などはすべて運転を見合わせていました。

正華の仕事が終わったのが19:00。
この段階でも電車はすべて止まっていましたが、それでも、もう気持ちは『宮城県に行くんだ!』と固まっていましたので、根岸の駅に向かい、駅のホームで電車が動き始めてくれるのを待つ事にしました。

徐々に雨が止み、風が少しづつ静まって来た所、京浜東北線が運転を再開!
20:15でした。そして、電車に乗って、宮城県・七ヶ浜町へ向かうバスが出る、新宿駅に向かいました。



皆さんこんにちは!正華工場直売店長渡辺です!
私は、4月3日の夜に新宿を出て、翌4日の朝に宮城県・七ヶ浜町に入り5時間活動。
そして、その日のうちにまたバスで新宿まで帰ってくるという、被災地ボランティア活動に参加をしてきました。

今日は、その活動と私が感じた事を書きたいと思います。


まず、前回書かせていた記事の中で、間違いがありますので、お詫びと訂正をさせて頂きます。


しかしみなさんもご存知の通り、個人での活動は出来ません。
計画的に復興を行っている被災地では、個人の勝手な行動がかえって迷惑をかけることになるからです。


と前回の記事で書きましたが、私が今回行った七ヶ浜町復興支援ボランティアセンターでは、個人のボランティアさんも、募集をしております。
しかし、計画的に復興を行っている事は事実ですので、事前に七ヶ浜町復興支援ボランティアセンターに連絡をして、当日、8時45分の受付をしてください。

私が活動を行った4日の水曜日も、20名くらい個人で来られている方がいらっしゃいました。

大変申し訳ありませんでした。



それでは、私が活動した事を書かせていただきます。

今回お世話になったのは七ヶ浜ボランティアセンター。こちらのセンターでは、団体のボランティアはもちろん県外からの個人のボランティアも募集してしています。

受付をすませてその後、全体ミーティング(朝礼)を行い、ラジオ体操、そしてマッチングといって、何人かにわかれ仕事が振り分けられていきます。

今回私が参加したボランティアの団体は72名。あの風の影響もあり、20名の欠席者がいましたが、バス2台でこのボランティアセンターに来ました。

この日、1番の団体だったので、このマッチングで仕事を振り分けられるんですが、私達の作業はもう決っていました。

ここで、私は驚いたんですが、

ボランティアの仕事はそれぞれ、、室内作業、瓦礫撤去、海岸清掃、こまかい事までいろいろあります。その中で、挙手が出来ます。

例えば『縫い物が得意だという方はいますか?』『子供さんと接するのが好きな方は居ますか?』『体力には自信がある!という方は居ますか?』と私達に聞き、また自分達で行う作業を選べるのです。

人数を把握して、センターの方がどんどん仕事を割り振っているのではなく。
ボランティアに来た方の得意なものや、体力にあったものを優先して振り分けています。


もっと流れ作業で物事が、どんどん決っていくのかと思っていたので、これも1つの大きな勘違いと言いますか・・驚いた事でした。

『体力に自信が無い私が、ボランティアに行って役に立つのだろうか?』と思われ、気持ちはあってもなかなか行動に移せない方もいらっしゃると思いますが、大丈夫です!

センターの方は、その人、1人1人に合わせた仕事をきちんと選んでくれます。

また、この朝礼の中で、しきりに言っていた言葉は、『来て下さってありがとうございます』という感謝の言葉と、『仕事はしなくてもいいから無理はしないでください』『力の6割で作業をしてください。怪我をしないで下さい。』という私達を気遣う言葉でした。
センターの方が、本当に心からの感謝の気持ちで、私達を受け入れてくださっているんだなぁというお心使いが見えた朝礼でした。

この日は、横浜でも猛威を振るった『春の嵐』の影響で、風が強く雪が降る悪天候の中での作業となりました。

私達が行った作業は、流されてしまった家の跡地に生えた雑草を切り、土に埋まった瓦礫の掘り起こしと、その瓦礫の撤去でした。

10代の頃に植木屋に居た事もあり、スコップやクワ、また雑草の除草や、ネコという一輪車の扱いに慣れていたので、何十人かの方と協力して、どんどん作業を行っていきました。

しかし、土に覆われた瓦礫の中に、本当に沢山の生活で使われていたものが出てきます。
『そこに人が生活していた証』本当に胸が締め付けられる思いでした。



私が今回活動させていただいた宮城県・七ヶ浜町は、観光で有名な松島の隣に位置します。

松島観光をされたことがある方は、JR仙石線の本塩釜から観光船に乗って
松島海岸へ向かわれると思いますが、その、本塩釜駅から観光船乗り場につながる道路をさらに海の方向へ向かっていくと七ヶ浜町へたどり着きます。

地図でみるとよくわかりますが、七ヶ浜長は海に出た半島に位置しています。
またその形が入り組んでいて、実際津波が来た時、その入り組んだ海岸線の影響か!?津波がぶつかりあって、場所によっては15m以上の高さにもなったと聞きました。
その高い波のせいで、地震直後には木に引っかかったご遺体も多かったと言っていました。

私が作業を行った、数メートル先はすぐ海です。
今は穏やかな波もよく見えます。


私が作業をさせていただいているはるか頭の上まで大きな波が来て、大切なものをすべて奪っていってしまったんだよなぁ。。

今は、穏やかに見える波が、壁のように立ちこちらに迫ってくる様を、実際目の前にある海を見ながら想像するだけで、本当に恐くなります。

海に面している集落のほとんどは、壊滅的な被害を受けました。
今回、瓦礫の撤去を行った、このお宅も、これから植林されるようです。

しかし、海水が染み込んだ土では植物が枯れてしまうので、またさらに手を加えていかなければいけないと話していました。

今回、70名で5時間作業して、なんとか目に見えている箇所だけは綺麗になりました。

しかし、スコップで掘れば掘るほど、瓦礫や生活用品などがどんどん出てきます。

テレビで、復興はながい戦いになる・・なんて報道されていますが・・。
実際、こうして作業を行ってみて、これは何年掛かかるかわからないと素直に思いました。


現地スタッフさんが、ここは、まだいい方なんですよ。と言っていましたが、私にはその意味がわかりませんでした。

だって、いいもなにも、何にも無いんですから。

ここが集落だったとわかるのは、複雑にまがった電柱や、地割れした道路跡。そして、家の基礎があるからなんですが、それ以外何にもないんですよ。

『まだ手をつけてない集落もある。』という現地スタッフさんの話を聞いて、
本当に本当に継続した戦いが10年単位で続くと確信しました。

大きい瓦礫はそれは確かに目には見えなくなり、綺麗な更地には見えると思います。
でも、その土の中にはとんでもない不純物や、思い出の品が沢山埋まっています。

そして、その地に、木を植えるのであれば、土だって入れ替えなきゃいけないんです。

今回、土嚢袋の数は、たぶん1000~1500くらいになりました。
枯葉、瓦礫、石、木材、ガラス、ビンカン、プラスチック。それを土嚢袋にいれますが、その入れた土嚢袋の山も、そのままです。
その他にも、1人では持てない石も、ゴロゴロ出てきて、その場に置きっ放しですし、門扉?やなんかわかんない柱の一部とかも、そのままです。


次の日、この土嚢袋を片付けるのも、人数にもよりますが1日じゃ終わらないでしょう。

私は人にはそれぞれの人助けの形があるとは理解しています。
募金をする人、市内や各地で仕分けなどに参加する人、今回みたく現地行ってみる人
現地に1年も車で寝泊りしながら活動をする人…。

すべての人が思いを持ってやっていると思います。
ただ、一つ言えるのは。 どんな多忙の人も一度行ってみる。それが必要だと思います。
『百聞は一見にしかず』じゃないですが・・。
現地の様子はもちろんですが、自分が送ったカイロやタオル、紙コップ、手袋、マスク、トイレットペーパーがこんな形でボランティアセンターで使われてるとか。

『ゆとり世代』『今の若者は』とか、マイナスの声が多く聞こえてきますが、実際現地で
1人で来て活動している、『その』世代の高校生や大学生の数の多さとか。

すべての事を生で見ることで、どれだけ一方的な側面から震災を見ていたかと
思い知らされました。 

今回、活動した内容だけではなく、色んな復興作業がまだまだ残っています。

これから、もっともっとボランティアの方々の力が必要になる!
本当にそう思いました。

私が勤めているこの正華は、復興支援に前向きな会社です。
今回私を出してくれたのも、会社です。


皆様も、そうでない会社や環境があると思います。
しかし、ボランティアセンターが朝礼の最後に言っていた言葉を、預かってきましたので、こちらに書かせていただきます。

それが。
「ぜひ、忘れないでください」です。


これからが本当に復興だと。
これから本当に、ボランティアが必要だと。


大きな声で何度も言っていました。

報道をしなくなったから終わりではなくて、もう1度、日本人全員が自分に何が出来るのかを考えていただければ、もっともっと復興が早くなるのではないかと思いました。


私は、必ずまた被災地へ行きますが、今回、私を被災地へ送り出してくれました、正華と家族に感謝したいと思います。

そして、今回共に活動したボランティアの皆さんと、七ヶ浜町復興支援ボランティアセンターのスタッフの皆様本当にありがとうございました。
またお会いしましょう!!

最後に、写真撮影には規制がありますが、伝える為に数枚撮りました。
UPするか迷いましたが、伝える事も大切だと思い、UPしたいと思います。






(車や瓦礫の山が、至る所にあります)



(バスの中からの撮影が許可されましたので、数枚だけ流されてしまった場所を伝える為撮りました)



(朝、振り分けられ色んな場所で活動しているボランティアさんですが、お昼はかならずセンターに戻り昼食をとるようにと指示されます。センター内は、音楽が流れ、お茶やお味噌汁が振舞われます。大変な作業の休憩として、本当に有難いです。写真は昼休みに撮影。)

浜を元気に!七ヶ浜町復興支援ボランティアセンター

  


Posted by 正華工場直売店長 at 14:04Comments(0)東日本大震災